大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑・納経塔
大阪市都島区片町にあります、大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑・納経塔を訪れました。
案内版から引用します。
『大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑
太平洋戦争終戦前日の昭和二十年八月十四日、大阪は最後の大空襲を受けた。B29戦略爆撃機は特に大阪城内の大阪陸軍造兵廠に対し、集中攻撃を加えたが、その際、流れ弾の一トン爆弾が四発、京橋駅に落ちた。うち一発が多数の乗客が避難していた片町線ホームの高架上の城東線(現、環状線)を、突き抜けて落ちたため、まさに断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものであったという。判明している被爆犠牲者は二百十名であるが、他に無縁仏となった御霊は数え切れなく、五百名とも、六百名とも言われている。

当時、地獄のような惨状を目撃した大東市の森本栄一郎氏が、あまりの悲惨さに胸を痛め、その霊を弔おうと昭和二十二年八月十四日、自費で建立された慰霊碑である。

納経塔
戦後、被爆犠牲者を弔う法要が毎年八月慰霊碑の前で鴫野・妙見閣寺によって行われているが、三十七回忌を機に写経による供養をと、遺族及び、当時駅での体験者、大阪大空襲の体験を語る会々員多数の市民からの基金、協力を得て建立した納経塔である。

昭和五十八年二月
国鉄京橋駅長』

六十六年前、京橋駅で亡くなった数百人の無辜の人々のご冥福をお祈りしました。

八月十四日の朝に日本がポツダム宣言受諾の決定をしていたのに、米軍は何の為に都市爆撃を行ったんでしょうか?。
大阪陸軍造兵廠の爆撃というのが名目のようですが、終戦間際の物資不足で開店休業状態の軍需工場を攻撃する戦略的な意味は…?。

参考にしたブログ・サイトです。
大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑

大阪市城東区新喜多 大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑・納経塔

米軍の爆撃予告ビラ - 浜ちゃんの小豆島写真日記

ありがとうございました。


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