数日前に、奈良県大和郡山駅周辺をを散策しました。
JR関西本線線、郡山駅。近鉄橿原線、近鉄郡山駅降りてすぐです。
まずは、外堀緑地を訪れました
外堀公園内は自転車通行不可です。
押して歩くか、どこかに預けましょう。
1外堀緑地の冠木(かぶき)門外堀緑地の冠木(かぶき)門。

2外堀緑地の説明外堀緑地の説明の石碑。
画像をクリックしたら大きい画面が開きますよ。
いつもならテキスト入力するんですが、今回は手抜きですね。

3駒井醤油昔から営業していそうな醤油屋さん。
駒井醤油。
看板に「創業百有余年」とありますね。

4道の真ん中が川道の真ん中に水路が!。
染物屋さんが染めた布をさらす水路?。
夜中に酔っ払って歩いていたら水路に落ちそうで怖いですね。
わしがこの辺りに住んでたら絶対に何回も落ちてます。笑。

5紺屋さん紺屋さん。
染物屋さんですね。
昔は沢山の染物屋さんがあったようですね。

6紺屋さんの説明紺屋の説明。
画像をクリックしたら大きい画面が開きますよ。
興味の有る方は読んでみてくださいね♪。

7おみやげ物屋さんお土産屋さん。
「こちくや」

8金魚すくい「金魚が泳ぐ城下町」
旅の思い出に金魚すくいはいかがですか。
って、金魚をすくっても旅行中に金魚を持って歩き回る訳にいかんわんな。笑

9トンボ球へなちょこトンボ球ガラス細工のお店。
「へなちょこ」って店名です。


以下に、大和郡山市観光協会のサイトから引用します。
***** 郡山のおいたち *****
和銅3年(710)都が飛鳥(藤原京)から平城(なら、平城京)に移り、都の南京終には羅城門があって、この都の郊外には大宮人のための保養所「薬園宮」があり、東大寺領清澄庄に属し寺領「郡山」(応保2年、1162)と呼ばれていました。
その後、中世末期の混乱期を経て、織田信長と組んだ筒井順慶(「洞ケ峠を決め込んだ」という言葉のルーツ)が大和を統一し、天正8年(1580)筒井から郡山に移り、明智光秀の指導で城郭の整備にかかりました。
ところが、本能寺の変から山崎の合戦までの大騒動、順慶の死、後を継いだ定次が突然秀吉から伊賀上野へ国替を命じられました。
後、天正13年(1585)豊臣秀吉の弟、大納言秀長が郡山城に入り、紀伊、和泉、大和三ケ国で百万石を領し、紀州根来寺の大門を城門にしたり、周辺の神社、仏閣から仏石、墓石等、あるいは春日奥山から大石を切り出し運んで、城郭の大増築と城下町の建設をしました。
その後水野、松平、本多等数代の城主の後、享保9年(1724)5代将軍徳川綱吉の側用人をつとめた柳澤吉保の子、吉里が甲府より転じ15万石を以って入部、2代目信鴻以下常に文治に秀でた藩主に恵まれ、城下を中心として、心学、国学、漢学、俳諧、茶道、花道などが栄え、江戸時代に金魚養殖、赤膚焼がさかんとなりました。
柳澤藩の重臣で博学多芸特に書画をよくした、柳里恭など代表的な文人も出、政治経済の実学にすぐれた儒学者、熊沢蕃山、剣術指南役、荒木又右衛門なども住んでいました。
以上、大和郡山市観光協会のサイトから引用でした。

この日は、あまり時間が無く、ゆっくり見物できませんでしたが、歴史のある城下町で、沢山の見所がありそうでした。
時間の有る時にまた、ゆっくりと訪れたい街です。

外堀緑地のお堀に流れ込む水が、配管に何か詰まっているみたいで変に噴出していました。ユーチューブに動画投稿してみました。


参考にしたサイトです。
大和郡山市観光協会
ありがとうございました。

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